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楽古文
枕草子 中納言参りたまひて 解説
      中納言参りたまひて、御扇奉らせたまふに、


文法のポイント

 ポイント1 副詞の呼応(陳述の副詞・叙述の副詞)
   副詞の中には下に決まった表現を要求するものがある。「陳述の副詞」「叙述の副詞」と呼ばれる。
   文中にも下の表現と呼応している副詞がある。
   例1:おぼろけの紙は張るまじければ、
     副詞「え」は下に打消の意の語を伴って「…できない」という意を表す。
     ここは、打消推量の助動詞「まじ」(已然形「まじけれ」となっている)と呼応している。
   例2:さらにまだ見骨のさまなり。
     副詞「さらに」は下に打消の語を伴って「全く…ない」という意味を表す。
     ここは、打消の助動詞「ず」(連体形「ぬ」)と呼応している
   例3:一つ落とし
     副詞「な」は「そ」と呼応して禁止の意を表す。「…してくれるな」と、頼むようなニュアンスがある。
     「な…そ」の間には動詞の連用形(カ変・サ変は未然形)がはいる。


 ポイント2 助動詞「す」「さす」
   助動詞「す」「さす」は、使役と尊敬の意がある。単独で用いられる「す」「さす」は使役の意味である。
   「たまふ」などの尊敬の補助動詞とともに用いられる場合は使役と尊敬のどちらの意味か判断が必要になる。
   例1:中納言参りたまひて、御扇奉らたまふに、
     「奉らせたまふ」の部分が二方面への敬語表現になっている。(→敬語のポイント4)
     「せたまふ」は中納言に対する敬意を表している。「せ」は尊敬を表す。
   例2:それを張らて参らせむとするに、
     「たまふ」などがつかず、単独で用いられているので、「張らせ」の「せ」は使役の意。
     後の「参らせむ」は「参らす」の未然形に意志の助動詞「む」がついたもの。
     「参らす」は「差し上げる」意の謙譲語で、「参る」+助動詞「す」ではない。
   例3:「いかやうにかある。」と問ひ聞こえさせたまへば、
     「問ひきこえさせたまへば」の部分が二方面への敬語表現になっている。
     「問ひきこゆ」が「おたずね申しあげる」という中納言に対する敬意を表す謙譲表現、
     「させたまふ」が中宮に対する敬意を表す尊敬表現と考えられる。「させ」は尊敬を表す。


 ポイント3 完了の助動詞「つ」「ぬ」の強意の用法
   完了の助動詞「つ」「ぬ」は、「む」「べし」「らむ」などとともに用いられて、強意を表す。
   完了の助動詞と、推量・意志の助動詞をあわせて用いることで、確信を持って推量する・強い意志を表すことになる。
   例1:これ隆家が言にしてむ
     「て」は強意の助動詞「つ」の未然形、「む」は意志の助動詞の終止形  

   例2:かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、
     「つ」は強意の助動詞「つ」の終止形、「べけれ」は当然の助動詞「べし」の已然形

   「てむ」「なむ」「つべし」「ぬべし」「つらむ」「ぬらむ」の形のとき、「つ」「ぬ」は強意を表している。
   (「て」は「つ」の未然形、「な」は「ぬ」の未然形)


 ポイント4 「なり」の識別
   「なり」には、動詞「なる」の連用形、断定の助動詞、伝聞・推定の助動詞、ナリ活用形容動詞の語尾などがある。
                                  (→「なり」の識別参照)
   例1:おぼろけの紙はえ張るまじければ、求めはべるなり。  (「なり」は断定の助動詞:ラ変動詞「はべり」の連体形についている) 

   例2:さらにまだ見ぬ骨のさまなり。            (「なり」は断定の助動詞:体言「さま」についている)
   例3:さては、扇のにはあらで、くらげのななり。      (「なり」は推定の助動詞:断定の助動詞「なり」の連体形についている)
     例3の「ななり」のかたちに注意。
     これは、断定の助動詞「なり」の連体形「なる」に伝聞・推定の助動詞「なり」がついた「なるなり」が
     撥音便「なんなり」となって、「ん」が表記されないものである。「くらげの(骨)であるようだ」の意。
     「な」が断定であって、後の「なり」も同じ断定のはずがない。これは伝聞・推定の「なり」である。ここは推定の意。


 
ポイント5 係り結び(結びの流れ)
   本文中の係り結びについて確認しておこう。
   例1:隆家こそいみじき骨は得てはべれ。        (結びは「はべれ」:ラ行変格活用動詞「はべり」の已然形) 
   例2:いかやうにある。               (結びは「ある」:ラ行変格活用動詞「あり」の連体形) 
     「か」は疑問を表す係助詞。
   例3:「さらにまだ見ぬ骨のさまなり」となむ人々申す。 (結びは「申す」:サ行四段活用動詞「申す」の連体形)
   例4:かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちにいれつべけれど、
     「こそ」の結びは、「べし」が已然形「べけれ」となってここで文がおわるはずが、
     接続助詞「ど」がついて文が下に続いたために結びが消えている。「結びの流れ」「結びの消滅」とよばれる。

   
      

  

敬語のポイント

 ポイント1 尊敬表現
   中納言隆家の動作と中宮の動作に対して尊敬表現が用いられている。
   冒頭で「中納言参りたまひて」とあるので、中納言が身分が高く、尊敬表現で描写されるべき人とわかる。
   この部分は二方面への敬語表現となっているので、ポイント4も参照のこと。
   中宮については、文中では主語として明示されていないが、作者清少納言の宮仕えの生活を記した文章で、
   隆家が扇を献上しに来た(作者が「たまはる〈いただく〉」のではなく、隆家が「奉る〈差し上げる〉」)となれば、
   献上する相手は作者がお仕えしている中宮定子(隆家の姉)となり、尊敬表現で描写されるべきであるとわかる。

   例1:「いかやうにかある」と問ひきこえさせたまへば、
     「たまへ」は尊敬の補助動詞「たまふ」の已然形。中宮への敬意を表している。ここは二方面への敬語になっている。
   
 
   例2:「すべていみじうはべり。……かばかりのは見えざりつ。」と言高くのたまへば、
     「のたまへ」は「言ふ」の尊敬語「のたまふ」の已然形。中納言への敬意を表している。

 ポイント2 謙譲表現
   中納言の中宮に対する動作、中宮の中納言に対する動作にそれぞれ二方面への敬語、謙譲表現と尊敬表現が用いられている。
   作者の動作に謙譲表現が用いられている。また、中納言の発言中に謙譲表現が用いられている。
   例1:「隆家こそいみじき骨は得てはべれ。……」と申したまふ。
     「申し」は「言ふ」の謙譲語「申す」の連用形。作者から動作の受け手である中宮に対する敬意を表している。
   例2:「さては、扇のにはあらで、くらげのななり。」と聞こゆれば、
     「聞こゆれ」は「言ふ」の謙譲語「聞こゆ」の已然形。作者から、動作の受け手である中納言への敬意を表している。
   例3:「すべていみじうはべり。『さらにまだ見ぬ骨のさまなり。』となむ人々申す。……」
     「申す」は「言ふ」の謙譲語「申す」の終止形。会話中の敬語表現は発言者からの敬意を表す。
     ここは「申す」動作の受け手は中納言で、発言者中納言が自分への敬意を表していることになる。

 ポイント3 丁寧表現
   中納言の発言の中に丁寧表現が用いられている。会話中の丁寧表現は発言者から聞き手への敬意を表す。
   例:「隆家こそいみじき骨は得てはべれ。…」
     「はべれ」は丁寧の補助動詞「はべり」の已然形。発言者中納言から、聞き手中宮への敬意を表している。

 ポイント4 二方面への敬語表現
   中納言から中宮への動作と、中宮から中納言への動作については、二方面への敬語表現が用いられている。
   地の文なので作者からの敬意を表している。作者はまず謙譲表現で動作の受け手に敬意を表し、
   続く尊敬表現で動作者自身に敬意を表している。

   例1:中納言参りたまひて、御扇奉らせたまふに、
     「参り」は「参上する」意の謙譲語「参る」の連用形で、動作の受け手である中宮への敬意を表している。
     「たまひ」は尊敬の補助動詞「たまふ」の連用形で、動作者中納言への敬意を表している。
     「奉ら」は「与ふ」の謙譲語「奉る」の未然形で、中宮への敬意を表している。「せ」は使役とも尊敬ともとれる。
     人を使いとして差し上げるのなら使役、中納言が直接差し上げるのなら尊敬で、二重尊敬の表現となる。
     「たまふ」は中納言への敬意を表している。
   例2:「いかやうにかある」と問ひきこえさせたまへば、
     「きこえ」は謙譲の補助動詞「きこゆ」の未然形で、動作の受け手である中納言への敬意を表している。
     「させ」は尊敬の助動詞「さす」の連用形、「たまへ」は尊敬の補助動詞「たまふ」の已然形で、
     二重尊敬の形で動作者中宮への敬意を表している。
     (「きこえさせ」で一語で、「きこゆ」よりも強い謙譲の意を表す「きこえさす」の連用形という解釈もある。
     作者が、中宮を中納言に対してそれほど低めなくてもよいと思われることと、作者から中宮への尊敬の度合いとを考えて、
     「させ」を尊敬ととるのが自然と思われる。)

 ポイント5 敬語表現をもとに動作の主体(主語)を判断する
   文中、中納言から中宮への動作と、中宮から中納言への動作については、二方面への敬語表現が用いられ、
   双方への敬意を表して記されている。中納言から作者への動作については、中納言の動作を低める必要はなく、
   尊敬表現のみが用いられている。作者の動作は謙譲表現を用いて記されている。
   このことから、主語が明示されていなくても誰の動作か判断できる。
   文中では、発言について、誰が誰に対して言ったものかがわかる。以下、確認してみよう。

   A:中納言参りたまひて、…「隆家こそいみじき骨は……」と申したまふ。          (中納言が中宮に)
   B:「いかやうにかある」と問ひきこえさせたまへば、                   (中宮が中納言に)
   C:「すべていみじうはべり。……まことにかばかりのは見えざりつ。」と言高くのたまへば、 (中納言が中宮に、また作者に)
   D:「さては…くらげのななり。」と聞こゆれば、                     (作者が中納言に)
   E:「これ隆家が言にしてむ。」とて笑ひたまふ。                     (中納言が作者に)
   F:「一つな落としそ」と言へば、                            (人々が作者に)

   Aは中納言隆家の発言。「申したまふ」と二方面への敬語が用いられていることから、聞き手は中宮とわかる。
   AにこたえたBは中宮の発言で、聞き手は中納言。「問ひきこえさせたまへば」と二方面への敬語が用いられている。
   CはBにこたえた発言であるが、「のたまへ」という尊敬語のみ用いられているので、
   厳密には言葉全体が中宮に対するものではなく、作者の耳にも入るようにおっしゃったと思われる。
   作者は中納言がおっしゃったことに対してDの言葉を発した。「聞こゆれ」という謙譲語からも、この発言が作者のものであると
   確認できる。作者の発言が機知に富んだものであったので、中納言が気に入って、Eの言葉をいったのである。
   Fは「言へ」となっていて敬語表現が用いられていない。作者と同等の地位である女房が作者にいったのだと読みとれる。
   作者の頭の回転の速さを自ら紹介したようで、聞き苦しいことだが、(周りの人が)一つも落とすなというので、
   しかたなく(記した)というのである。



   敬語表現が文章の地の文に用いられているときは書き手(作者、筆者)からの敬意を表しており、
   
会話の中に用いられているときは発言者からの敬意を表している。


解釈のポイント


 ポイント1 まだ見たことのない骨・作者の機知
   中納言がすばらしい扇の骨を手に入れた。どんなようすの骨かと中宮に尋ねられ、具体的には言わず、全く見たこともないほど
   すばらしいという。作者はまだ見たことのない骨であるならば、それはくらげの骨であるようだという。くらげには実際には
   骨がないので、全く見たことがないのも当然ということになる。中納言はこのしゃれが気に入って、「それ隆家がもらった」と
   笑ったのである。

      

 ポイント2 作者の謙遜
   作者の当意即妙の一言を中納言が気に入った、と書き記せば、自慢のようで「かたはらいたきこと(聞き苦しいこと)」に
   いれるべきであろうが、と作者は一応謙遜する。だが、周りの人たちが一つも書き落とすなというので、
   しかたなく書くのだ、と結局は自らが賞賛されたエピソードを記している。



 
重要語 
    参る     参上する         身分の高い人のところへ行く意の謙譲語 
    奉る     差し上げる        「与ふ」の謙譲語 
    いみじ    程度がはなはだしいことを表す。よいこと悪いこと両方に用いる   シク活用形容詞 
    参らす    差し上げる (「参る」+使役の助動詞「す」と区別する)
    おぼろけなり 
並み一通りである ありきたりである 
    さらに    
(下に打消の語を伴って)全く…(ない)
    かばかり   これほど
    さては    それでは   
    かたはらいたしそばで見聞きしていていたたまれない 苦々しい 見苦しい
    いかがはせむ 
どうしようか、いやどうしようもない
    




枕草子 中納言参りたまひて 現代語訳

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